先日から気分が憂鬱だ.憂鬱というより動悸的なものがやばい.何も考えないでいると心臓が拍動しすぎて気持ち悪くなって吐きそうになる.

結局何なんだろう.これは.教員たちからの説教嫌味期待文句.もう訳がわからない.

あの人たちは以前授業の中である一つのグループを潰した.叩けば叩くほど伸びると信じて叩きすぎたと言っていた.今年は反省してその授業を穏やかに行っているそうだ.結局私のいる学年は実験台.
彼らはそのグループに対してしたことを私一人にふっかけるつもりなのだろうか.それはあまりにも自意識過剰すぎるな.誰も私に期待なんかしていない.叩けば叩くほど伸びるなんて微塵も思っていないだろうし,その結果私がどうなろうと知ったことじゃないんだろう.たかが教員だ.彼らだって人間でそれぞれ家庭を持っている.赤の他人の私なんかに関心を持つ必要もその理由もない.ただただ自己満足の世界だ.

私は人を嫌わない.つもりでいた.だけどそれもペテンなのかもしれない.あれほど私が尊敬していた教授が私の発言をことごとくペテンだと言ってくるんだ.間違いない.自分が信用し尊敬しようとした相手の発言すら信用しないんじゃ私の価値なんて0未満だ.そもそも私に価値なんてないが.
あれほど大好きでいた教員たちに怒りを覚えているのかもしれない.だがそれも見当違いだ.私は教員たちが大好きだ.

私はこの文を書いている私自身に酔っているようだ.遅れてきた厨ニ病.むしろ小学校の頃から引きずりつづけているのかもしれない.

小学校といえば私のあまりの出来の悪さに小学校からやり直して来いとも言われたな.この学校に来て堕落しきったせいで懸命に努力し続けてきた小中学校時代のことまで否定された.されたか?否定まではしていなかったかもしれない.小学校の頃からペテンだったんじゃないの?というようなことは言われたが.

私は今でもそんな教員たちが大好きでいるんだから病気だ.マゾヒストなのかもしれない.尊敬している.人の本質を見抜いてそれをオブラートに包むこともなく本人に直接ぶつけることのできる人たちだ.大人だ.自分の研究結果に溺れて多少驕りのすぎる教員もいるがそれでもその観察眼はすさまじい.彼らはその目で本質を抜き取る.生粋の研究者だ.

彼らに対してあーだこーだと文句をつけることは簡単だ.学生はそうやって現実から目をそらす.そうやって自分の身を守る.みんなそうしてるんだから私だってそうすればいい.しないな.私は考えるだけだ.いや考えすらしない.

以前私のクラスメイトは私に対して「何も考えていないだろお前」といったまた別の人は「何も考えてなくて気楽そうでいいね」といった.その通りだとしか言えない.私は何も考えていない.すべて現実でしかないし,全て結果だ.考えたところでその結果は変わらない.だから私は傷つかない.すべてそこにあるだけだ.

結果に対してなにも考えなくなって,そのうち先のことも考えなくなったから,私はこうなってしまったんだろう.勉強する意味.それは将来自分と出会って仕事をする人に迷惑をかけないためだ.私が努力し,新たな何かを完成させた時に助かるはずの命を助けるためだ.今は未来につながっている.今の努力が行動がすべてが未来の結果だ.私はただそれを受け止めているだけ.先のことをなにも考えずに行動していたらそれはなんの意味もない.私はこの4年間ただひたすらに自分の時間を溝に捨て無駄にし続けてきた.

こうやって自分語りをしているのは楽しいかもしれない.自分中心の話をし続けているし,自分に酔っているんだからそれも当然だ.こんな文書いてる私かっこい〜.超鬱っぽ〜い.誰か心配して〜.馬鹿馬鹿しいな.私は誰かに心配して欲しくてこんな文章書いてるんじゃない.

自分の話をしている時は人間だれでも楽しいものだ.
私は誰にも相談しないし,誰にも話さない.今まではこうして文にすらしていなかった.でもこうして文字にして吐き出すと少しは楽になる.

だんだん気持ちが明るくなって来たかもしれない.では,ここで「人に相談する」ということについて考えてみる.
「人に相談する」ということは自分の悩みを話すということだ.
私はそんなことできない.ここに書いているようなことを人に話すなんて恥ずかしさのあまりに話している途中で自殺しそうだ.
話がそれた.先述したが人に話すということは自分中心の話ができるわけでつまり快楽だ.だから黙って話しを聞いてくれたり親身になって話を聞いてくれる人というものは人から受けがいい.都合がいいんだろう.そんなこと意識して話してる人はそんなに多くないだろうけど,無意識的にそういう人を頼りにしてそういう人にお悩み相談をする.自分のことを話して楽しんだ上に人と人と悩みの共有までできるんだ.相談する側には利点しかない.更に相談相手が解決策まで提示してくれたらこれほど都合のいいことはないだろう.ただ大概は解決策なんか求めていなくてただ話を聞いて欲しいだけだ.
欠点は相談相手を間違えた時に現れる.上から目線で指示してきたり,相談者のことを否定してくるような相手だった時,それは相談者にとって最悪だろう.相談者はただ話を聞いて欲しいだけなのだから.ここで素直にアドバイスを聞けるような人はそもそも相談なんてほとんどしないし,相談相手を間違えたりしない.
では話を聞く側に利点はあるだろうか.人間損得勘定で生きているんじゃないという考えもあるが,利点・欠点に分けて話すというのは非常に楽で明快な文章にしやすい.
また話がそれた.聞く側の利点だが,それは相談してきた相手のことを知ることができることくらいだろう.あとは人がどんなことで悩むのかも知ることができる.
一つ目の「相手を知ることができる」については興味のある異性であったり仲良くなりたいと思っている相手であればいいだろう.しかし,そうでない相手からの相談は苦痛でしかない.聞きたくもない話を延々と聞かなければならないからだ.その話をきっかけに仲良くなって職場でもうまくやっていけるようになったらそれこそペテンだと私は思う.ここでいうペテンは違うかもしれない.この場合偽善が正しそうだ.
正しいの定義も曖昧だがここではそれについて話さない.いつか話すかもしれないけどきっと話さないだろう.人によってこれほど定義の異なる言葉について時間を割くことに意味はない.誰もが自分の定義を大切にすればいい.
聞く側の利点を一つ上げたところで今度は欠点について考えてみよう.それはおそらく人の悩みを聞いてしまうことだ.真剣に人の悩みを聞く人はその悩みを真剣に解決しようとするだろう.それによって相談された側まで悩まなくてはならなくなる.これは非常に大きな欠点じゃなかろうか.嫌そうでもないのかもしれない.今の人たちは一緒に悩みを共有して一緒に悩むことをいいことだと考えていそうだ.
なんだかよくわからなくなってしまったが,私の意見はひとつ.「人に悩みを相談するということはその人も悩ませることになるという覚悟ぐらいしてから人に相談しろ」ということだ.

今日も長々と文章を書いてしまったところで終わりとしようか.明日からの学校も頑張っていこう.
教員たちから言われたことについてひたすらに考えながら.

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